もやもや人生 誕生日を迎える 未だに自分が分からない 自分にとっての幸せとは? 論語から思った事 一例

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こんにちは、逆境☆マンです。

誕生日を迎えて思った話

先日47回目の誕生日を迎えました。

最近一年一年が早く感じます。

ふと論語の一節を思い出しました。

40歳を超え50歳に近づいている自分の状況。

孔子はこう言っています。

論語』の有名な一節の現代語訳と意味

子曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

現代語訳

「私は15歳で学問を志し、30歳で自分の考えがしっかりして独り立ちし、40歳で迷わなくなり、50歳で天から与えられた使命を理解し、60歳で人の言葉を素直に聞けるようになり、70歳で自分の思うままに行動しても、道を外れることがなくなった。」

この言葉の段階で言うと、私の年齢は不惑を越え知命に向かっているようです。

不惑(ふわく):40歳になって、物事の道理が分かり、迷わなくなったという境地。若い頃のようにあれこれ悩んだり、迷ったりすることが減り、自分の考えや判断に自信を持てるようになった状態を指す。

知命(ちめい):50歳になって、天命――つまり「自分がこの世で果たすべき使命」や「人生の意味」を理解するようになったということ。単なる知識ではなく、深い理解と納得が伴う。

迷わなくなる境地どころか学を志す前段階…

自分がこの世で果たすべき役割なぞ到底行きつかない…

同年代の皆さんは日々をどのように感じているのだろうか?

私は煩悩ばかりの毎日ですわ(笑)

お金、仕事、家族の幸せ、病気からの脱却、何より日々自分にもやもやしている。

勿論瞬間瞬間では楽しい時もあるし、何も考えていない時もある。

ただ毎日を生きるので必死なのです。

でもやれる事はまだまだあるはず!

そんな思いだけは一丁前にある。

50歳前の中二病(笑)

アホなのです。

分かってます。

真っすぐ生きられない、寄り道ばかりのこの人生。

ロクデナシだなーと思う事もあります。

中一の娘の方がしっかりしています。

それでもこのもやもや人生を泳ぐ。

自分にとって極限の病状を経験しているからこその恐怖、感謝も知っている。

自分の人生…

ああ、ただ真っすぐ真っすぐ生きてぇ!

論語からこんな事を想った一日でした。

皆さんも何かの記念日や特別な日に自身の人生を見つめてみて下さい。

不思議な感情が生まれたり、何かに気が付くかもしれませんよ?

こんな話が皆さんのお役に立てれば何よりです。

ではでは

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